平成29年7月20日
今日はベランダから中央線を眺めた。
夕方の日差しが眩しかったが気温がそう高くなく儚げに感じた。
けだるい会議を控えていたからだろうか。
いつも通り特に忙しいわけでもないので日々8時間は睡眠をとる計算なのだが、たいてい5時間ほど寝ると起きてしまう。
たぶん肉体的に疲れていないからだろう。
高齢者にも同じような生活習慣が伺えるがこれもまた同じような理由だと思う。
羽田圭介氏の著書「スクラップ・アンド・ビルド」において提起されていたが老人への対応としての「優しさ」とはなにかというのを考える。
本当に当人のことを思っているのであれば健康を考え例えば電車で席を譲らず立たせるだとかよくある老人への「優しさ」としておんぶするのはよくないだとか。
一般的にそちらのほうが見栄えがいいため見かけの「優しさ」を優先したほうが自分のためになるがそうしたくないという葛藤がよくある。
筆者は見栄えを気にしてしまう。
できればスーツなど着たくないが着てしまう。
見知らぬ人に絡まれたとき、本当であれば暴言を吐きたい。
この世は偽善者、スノッブばかりと憂いながら自分もその一員になってしまっている。
自分のほうが賢いと自分に言い聞かせながらときに人を見下しのうのうと生きているのだ。
こんな歳でも未だ万能感が抜けず、主人公を気取っているのだ。この文章から自己陶酔が滲んでいるだろうから一目瞭然だろう。
少し涼しい夏の夕暮れ。
今日はベランダから中央線を眺めた。