男子手芸部

手芸部員1と2の生まれたことへの贖罪

平成29年9月8日

今日はベランダから中央線を眺めた。

どうやら帰宅ラッシュというものは乗客が多いらしく、若い乗客は特に面白くもない話題でゲラゲラと笑っている。

昨日に引き続き流動食生活は続けていたのだが2日目にして限界が訪れ、初見の客を不快にさせることが売りの大盛りラーメンチェーン店に駆け込んだ。

先ほどまでは空腹のせいで脳機能が低下していたが今度は満腹のせいで脳機能が低下してしまっている。

そんなことを駄文の言い訳にするつもりなど毛頭ないが、節目節目で張り切るべきではないと、人生数度目の教訓を得た。

人生、普通が一番なのである。

普通の人間はわざわざ不特定多数の人間に自ら長々と発信などしないのは心得ている。

しかし普通ではないからこそ、キョンハルヒとの生活に慣れてしまったように、「普通ではない普通」を一度経験すると「普通」には戻れないのである。

虐待されていた子供は暴力を振るう恋人と付き合うし、子供が生まれても虐待するのだ。

胡散臭い専門家は難しい言葉とともにロジックを並べるが要するに本質的には全て同じだ。

こんな便所の落書きのようなブログの少ない読者諸兄も「普通」に疑問を抱いてしまっているような可哀想な人類なのだ。

もう飯を沢山食べたくはない。

今日はベランダから中央線を眺めた。

平成29年9月7日

今日はベランダから中央線を眺めた。

付近は一応高級住宅地なので駅ではなかなか腹が減ってそうな人間は見かけない。

またしてもなにをしたか覚えていない。

ただひとつ覚えているのは流動食生活をはじめたということだ。

最近COMPというのがネットで広告を大々的に打っていて少し遅めになるが試してみたのだ。

市販のプロテインのような粉を水に溶かした液体コロイドを飲めば完全に栄養が摂れ、価格もファストフードと同じくらいというものだ。

ちょうど先日から、ただの白米を最高に美味しく食べてみたいと思っていたところで、絶食の代替になるかと思い3日ほど流動食生活をすることにした。

流動食生活1日目。

腹が減った。

正確には、咀嚼という行為がないため視床下部腹内側野つまり満腹中枢がいつもより刺激されず脳が空腹だと認識している。

とにかく腹が減った。

なにか大掛かりな厄災が起こらない限り「完全食」の出番は未来永劫ないだろう。

今日はベランダから中央線を眺めた。

ちょっとここで書かせてください

個人ブログというのは決まった人のものしか見ないのですが、ときどき他の人のも見ます。

そのとき思うのですが、なんか、目次があってタイトルがあって…みたいな個人ブログがあまり好きじゃないんですよね。

そういうブログでアフィやるのはいいですけど、それならもっと効率いい方法あるよねって思っちゃいます。

それだけです、それが言いたかっただけです。

手芸部員1

平成29年9月6日

今日はベランダから中央線を眺めた。

数時間前まで中央線を眺めること以外なにをしていたかなにを考えていたか特に覚えていないのでここからは想像で話したい所存だ。

朝7時、目覚める。

お茶とタバコで目覚めの一服をし、ランニングへ。

ストレッチをしながら朝食を作りシャワーを浴び8時半出勤。

仕事を一通り終わらせ18時退社、銀座で高校の同級生と落ち着いた居酒屋へ。

22時には帰宅し日記をつけ1時間ほどビデオ・ゲームをし就寝。

そんな感じだった。

というかこの程度のクオリティでしか「オシャレな生活」「理想の生活」みたいなものを思いつくことができない。

こんな感じならモテそうかな、とかそういう風に考えていったがこれが限界である。

実際はたぶん、一食食べて15時間ほどゲームをして1日が終わった気がするがそんなこと言えるわけがない。

労働したいけど労働したくない、みたいな。

ああ、ゲームしてるだけで仕事した気にならないだろうか。

今日はベランダから中央線を眺めた。

平成29年9月5日

今日はベランダから中央線を眺めた。

大声で話す人、示された方向と逆向きに階段を行く人、肩をぶつける人、改札に引っかかっても後ろの人に謝らない人、子供に席を譲らない老人。

ブランド物で着飾り大人ぶる人間は会社でミスをしても子供のような言い訳をする。

陰口を叩く人、陰口を言われていることをわざわざ伝える人、秘密を漏らす人、それを笑う人、それをまた笑う人。

イヤホンをした。

眼鏡を外した。

マスクをつけた。

サンダルでも靴下を履くようになった。

半袖を着なくなった。

社会は信用で成り立っている。

そうでなければあんな福沢や野口の絵が描かれた紙クズに価値などない。

社会で生きて行く上で人を完全に信用しないということは社会での死を意味する。

社会に自由など存在しない。

完全な自由とは誰のものでもない場所でしか存在し得ない。

人はわかり合うことなどできない。

そうだ、人を騙して人に迷惑をかけて生きていこう。

今日はベランダから中央線を眺めた。

 

平成29年9月4日

今日はベランダから中央線を眺めた。

今日というかもはや完全に昨日なのだが目をつぶっていただきたい。

というのもここ数年間、連絡をしなかったり不義理を働いてしまったとき「すみません寝てました」という言葉で完結してしまうので気が緩んでいるというのがある。

この言葉でだいたい許してもらっているのだが(どうでもいいが実際は寝ていない)ここから考えられるケースは次のいずれかだと思っている。

まず、自分に能力やそれに付随する価値があり(見出されており)連絡がちゃんと返ってくるという点だけで満足されている場合。

次に、本当に頭のおかしい常識の外の者だと思われており、全く期待されていない場合。

前者だった場合一番うれしいのだが問題は後者である。

複数人から期待されていないという状況はかなり危機的でいままでの自己ブランディング戦略に圧倒的な負債があるということだ。

自分の中ではいままで常識的に振る舞ってきたつもりだし両親の知人と話したときも、いつも「しっかりしているね」と言われてきたのだ。

あと全く関係ないし何度も言っているがだいたいジョークや皮肉しか言わないしそれを見抜けない人は(接するのは)難しい。

非常に個人的などうでもいい話になったが今回はこれで落とし前をつけていただきたい、未来の自分、過去の自分よ。

すみません寝てました。

今日はベランダから中央線を眺めた。

平成29年9月3日

今日はベランダから中央線を眺めた。

眺めたと言っても虹彩の筋肉が衰えているのに生まれたままの状態で保っているので4K画質の動画を250kbpsでストリーミングしているような感覚だ。

世の中には直視したくないものが存在する。

自分の場合直視したい現実などふるいにかけられた砂金ほどしか存在しない。

王族に生まれたわけでも、差別部落で生まれたわけでもなく、カテゴリ分けしてしまえば一般家庭で育った身としてはそれなりに現実離れした環境に身を置いているのだが、それでも一日の大半は現実逃避に時間を費やしている。

人間というのは思いつく限りのものはすべて現実にしてしまうことができるという恐ろしい性質を持っていて、今の生活も学生時代の自分が望んだ現実離れした生活で、数年も経たないうちに実行してしまった。

その結果がこれなのだが、やはり人間の思いつくものなど神様かなにかしらないが超越した存在からするとノミのようなものなのだろう。(そういうことにしておこう。)

人間の想像力には限界などなく、呆れるほど現実離れしたことを実行してしまっているかの蛮族の末裔および未来からはるばる来た猫型ロボット、イーロン・マスク氏はすでにガンダムの生みの親富野由悠季氏の想像力を超えてしまっているだろう。

何世紀も続いた中世ヨーロッパに革命を起こした者がいるということはそれなりに激動の時代もまだ中盤に差し掛かったところなのでイーロンの左中間タイムリーヒットに続きこれからダメ押し満塁ホームランを打つ者が現れてもおかしくはない。

柄にもなく駄文と言うのが適切なくらいの文章を書いてしまったが、自分はこれからこの歴史に英雄的な名乗りをあげてやってもいいだろうと、そんな意思表明をしたかったのである。

エイエイオー。

そんな感じ。

今日はベランダから中央線を眺めた。