男子手芸部

手芸部員1と2の生まれたことへの贖罪

平成29年8月21日

今日はベランダから中央線を眺めた。

汚れていたベランダを掃除するかしないかで30分を使い込んだ。

記憶力がいいと言ったが毎日平成29年と打ち込んでいるのに契約書にサインを書く際今年が何年か調べてしまうほどには興味のないものを忘れてしまう。

今日は気分が悪くなるような出来事があった。

雇用してから1ヶ月も経っていない新人が辞めるとチャットツールで連絡してきたのだ。

この通りつっこみどころが多いし気分という営業時間が過ぎていたのでまだなにも連絡は返さずしておいている。

正直なところ数時間悩みはしたがもう辞めにしたいと思っている。

他人のことで頭を抱えたくないのだ。

自分のことで悩み、自分のことで幸せになり、自分のことを語りたい。

悩んでいる自分を見てヘラヘラ笑っている自分がいる。

彼は自分が嫌な思いをするのを楽しみにしていて、しばしば表面にでしゃばってくることもある。

なんとなく楽しくなってきた。

さて、この記憶は来年忘れるのか、来月忘れるのか、明日忘れるのか、それとも延々と思い出すのか。

今日はベランダから中央線を眺めた。

平成29年8月21日

今日はベランダから中央線を眺めた。

汚れていたベランダを掃除するかしないかで30分を使い込んだ。

記憶力がいいと言ったが毎日平成29年と打ち込んでいるのに契約書にサインを書く際今年が何年か調べてしまうほどには興味のないものを忘れてしまう。

今日は気分が悪くなるような出来事があった。

雇用してから1ヶ月も経っていない新人が辞めるとチャットツールで連絡してきたのだ。

この通りつっこみどころが多いし気分という営業時間が過ぎていたのでまだなにも連絡は返さずしておいている。

正直なところ数時間悩みはしたがもう辞めにしたいと思っている。

他人のことで頭を抱えたくないのだ。

自分のことで悩み、自分のことで幸せになり、自分のことを語りたい。

悩んでいる自分を見てヘラヘラ笑っている自分がいる。

彼は自分が嫌な思いをするのを楽しみにしていて、しばしば表面にでしゃばってくる。

なんとなく楽しくなってきた。

さて、この記憶は来年忘れるのか、来月忘れるのか、明日忘れるのか、それとも延々と思い出すのか。

今日はベランダから中央線を眺めた。

平成29年8月20日

今日はベランダから中央線を眺めた。

電車の停車時の静かではない静けさを感じさせる音だけが妙に頭に残る。

つい最近まで身のまわりのことはすべて自分の思い通りうまくいくと思っていたがどうやらそうでもないらしい。

自分は才能に満ちていて努力の必要はないとずっと思っていたが努力も必要、というよりむしろいままで無意識のうちに努力が必要なことに関して努力していたのだと感じた。

というのも最近やりたくないことをやらなければいけないという場面が増えたからだ。

このブログに関しても完全に自分に課した罰ゲームだし、仕事や趣味の大半もそうだ。

もともとやりたいことといえば特になく強いて言うなら異性と仲良くしたいということくらいだろう。

勢いで書くことは以上のことくらいで努力の必要もないので無理やり原稿用紙一枚分くらいに調整して終わりにしたいと思う。

ああこれも努力か。

今日はベランダから中央線を眺めたのであった。

平成29年8月19日

今日はベランダから中央線を眺めた。

日中は豪雨でのべつ幕なしに、カラカラになって固くなったタオルのような乾いた雷が轟いていたが特にやることもないのでベランダに立っていた。

今日は自分がなぜ不幸に感じているのか、なぜいつも気分が落ち込むのかを半分客観的に知らされた。

動物というのは危険な目に合うほど記憶力が増していくらしい。

逆に平和な環境で育った動物は記憶力が乏しく、動物園の動物が危機に晒されたとき回避できないのがその例だそうだ。

人間の場合遺伝的な要因と先述のような後天的な要因がその個体の記憶力に起因するらしい。

思えば昔から学校では常に怒られていたし学校外の習い事でもひどい扱いをされていた。

そして両親ともとても記憶力に長けている。

自分で記憶力がいいと思ったことはないが、考えてみれば様々なシチュエーションで昔のネガティブな記憶がフラッシュバックする癖があった。

行動が消極的なことはないが常になにをするにしても周到にリスクヘッジをするようになっていた。

つまり、日々怯えたような生活をしているのだ。

これは今日気づいたことで少し衝撃だったというか、自分の認識していない自分を認識できたようで嬉しい気もした。

日常に何らかの不満があることは知の象徴であり、いま現在幸福のために知を捨て去るか否かという岐路に立たされているような気がする。

しかし足元に積み上げてきた本はすでに東京タワーほどの高さにまでなっておりそれを崩せば死ぬのだ。

ああ、まずは月を目指そうか。

今日はベランダから中央線を眺めた。

平成29年8月18日

今日はベランダから中央線を眺めた。

雨が降っていたんだかどうだか忘れたがホームの人々は傘を持っていなかったような気がする。

今日は何人かの人に不義を働いてしまった。

ごめんなさい。

人に褒められるのは嘘だろうが嬉しいことだ。

人を褒めることも同様に気持ちよくなることができる。

人に否定されることは嫌なことだ。

人を否定するのも気持ちいいとは思わない。

自信のなさから人を否定ばかりして褒めることをしない人は最悪な部類である。

しかし近ごろの、いわゆる「ゆとり世代、さとり世代」と称される若い人たちは否定を怖れ聞き入れないようにしている傾向がある。

それはそれでよくない。

ジョハリの窓的な観点で言うと自分は認識していないが他人には見えている「自己」がありそれはよかったりよくなかったりする部分だ。

人の成長というのは現在の自分を否定し変えることだ。

つまり内省でカバーできない範囲は人に否定されるしかないのである。

ゆとり世代及びさとり世代は「肯定される教育」を受けてきたので否定を怖れるのは当然だがそれでは成長の範囲が狭まるということを明言しておこう。

あなたがたは当然ながら年配の人よりもモノを知らないし経験もない。

中高年や我々のような古い考え方の人間は「自分は知ってる、自分はわかってる」というような態度をとられると腹が立つのだ。

いま現在、社会において立場が上なのは中高年であって、いくら実力があってもあなたがたそこらへんの若い人々にはなんの権力もなくなにも決めることができない。

生きやすい世の中にするためにはまず我々の機嫌をとることが先決なのではないかと思うのだがどうだろう。

人の社会は人がつくっている。

人の社会をつくっているのは機械ではない。

実力、個性、そんなものは我々のような人間の前では塵同然だ。

少し考えればわかることだ。

今日はベランダから中央線を眺めた。

2017年8月17日

今日はベランダから中央線を眺めた。

まあいつものことだし。

9問中、9問正解です!NO 中央線,NO LIFE. | 中央線ユーザーにしか解けないクイズ。景色だけ見て、ここが何駅か当てられる? buzzfeed.com/jp/hironakobas… @hirona_kobashiより

こんなクイズをやってみた。

当然満点だった。

どうやらSNSで流行ったものらしくそれに乗ってしまったという感じだ。

流行りのもの、つまり人々に人気があるものというものに抵抗がある。

人の好きなものがあまり好きではないのだ。

もちろん人が好きなもので素直に面白いと思えるものもあるが大概既知のものであったり批判的な思考が一番最初によぎってしまったりする。

これだけではそこらへんのイタい中高生と変わらないのでなにか理由をつけてみようと思う。

パッと思い浮かばない。

そこらへんのイタい中高生と一緒なのだろう。

そういうことにしておく。

今日はベランダから中央線を眺めた。

平成29年8月16日

今日はベランダから中央線を眺めた。

主観的には特に何もない一日だ。

どういう生き方をしたいかとかそのような未来像をはっきり決めておくことは若いうちにしておくべきだと思う。

常識とは19歳までに培った偏見のことである。 

 かの偉大なポンコツ科学者アインシュタインはそう宣った。

これには、人間の脳の機能は19歳でピークを迎えるという医学的根拠も相まっている。

先のことを決めず歩むのは、型のないかたぬきをしているようなものだ。

ごく一部の、自分のような天才は、型のないかたぬきから完成後のサグラダ・ファミリアをみごとにつくりあげることができるがそれは彼らに限られた話だ。

大罪人であろうが聖人であろうが正しいことを語る人間は説法を説くことができるという仏教の教えがある。

つまりどんな形であれ正しいということは”正しい”のだ。

正しさとは知識と経験と賢さである。

正しくなく、なにも真理を得ることなくこの世を去る人々がいる。

なにも学ばず、たいした経験もしないということだけは、生きる上で避けたい。

要するに何もない一日というのをなるべく減らしたい。

そんな感じ。

今日はベランダから中央線を眺めた。