男子手芸部

手芸部員1と2の生まれたことへの贖罪

平成29年10月11日

今日はベランダから中央線を眺めた。

いとたゆし、人のひしめく朝の駅。

出勤遅れもひとのせいかな。

責任を被ることは精神的にあまりいいことではない。

誰かのせいにするということは楽なのだ。

人はそうやって生きてきた。

普段は大人ぶっているくせに人に怒られたときは子供のように言い訳をし責任を逃れる。

子供のような成人が多い。

少なくとも自分にはそう見える。

何も成長していない。

誰でも責任を問われることは嫌である。

自分のこととして逃げずに然と受け止めてきた人間は成長する。

全て自分の責任なのだ。

恋人がいないのも、芸能人の友人がいないのも、仕事がつまらないのも、金がないのも、容姿に恵まれなかったのも、金持ちの家庭に生まれなかったのも全て自分のせいなのだ。

課題を認識し、解決方法を模索する。

その積み重ねこそが人間的成長の本質である。

今日はベランダから中央線を眺めた。

平成29年10月10日

今日はベランダから中央線を眺めた。

取引先の人間に匿名で運用していたSNSがバレた。

今思えば文字にはしていなかったものの自分の顔などをアップロードしていたので特定しようと思えばできるようなものだった。

情報通信業に従事しているのでそこらへんは理解していたのだがクリティカルなものではなかったので用心はしていなかった。

しかしいざ見つかってしまうと恥ずかしいものだ。

ナルトごっこをしているのを好きな異性に見られたことくらい恥ずかしい。

匿名アカウントでいままで積み重ねてきたものが崩れてしまい多少焦っている。

このブログもいつか特定されてしまうのだろうか。

死後下ネタだらけの日記が見つかり知名度ゆえ世間に死体蹴りされている小説家など多数いるがなんとなく見ていて哀しいものである。

スマートフォンが普及し誰でも発信できるようになったミレニアム世代。

我が子に黒歴史をオープンされる時代が迫ってきている。

楽しみである。

今日はベランダから中央線を眺めた。

平成29年10月9日

今日はベランダから中央線を眺めた。

特に書くことがないと思ったが人気ユーチューバーも毎日欠かさず面白い動画を投稿しているのでひねり出して書こうと思う。

使えない人間というのがいる。

何度言ってもちゃんとした仕事ができないのだ。

仕事ができるできないというのは気持ちの問題というのが大きい。

それを加味した上でマネジメントをしてもある一定以上のクオリティの仕事ができない人間がいる。

それを見た自分と似たような立場の別の人間は、彼にはセンスがないと言っていた。

センスとはなんだろうか。

持論だがセンスというのは知識や経験則の奥深いものだと思っている。

それは幼稚園児の頃に体験した芸術や親の言動なのかもしれない。

よく読んでいないので知らないが「賢さ」というのが6割遺伝であるという論文もある。

平等など生まれた時点から存在しないのだ。

格差があって結構。

人間だもの。

今日はベランダから中央線を眺めた。

平成29年10月8日

今日はベランダから中央線を眺めた。

昔からなのか知らないが価値のあるものに対して対価を用意できない人間が多い気がする。

メリットデメリットだけで動く人間というのもそれはそれで気持ち悪いが行動原理など元を辿ればメリットデメリットなのだ。

全くメリットのない提案をしてくる人間は与えられることに慣れすぎて頭がおかしくなってしまったのだろうか。

しまいにそういう人間はそれを断れば不機嫌になる。

募金や一部のNPOに関してもそうだ。

なぜわざわざ低い文化レベルを保っているような国に支援をしなければいけないのか。

なぜ経済社会に存在しない人間を助けなければならないのか。

理由の明確でないなにかを正当化する人間。

それを否定する者を悪と言う人間。

今日も地球は回る。

人は生きる。

今日はベランダから中央線を眺めた。

平成29年10月7日

今日はベランダから中央線を眺めた。

昨日書いた文章を引用する。

立憲民主党の運営陣賢い。
希望の党と立憲民主が連立で自民をひっくり返すのが世界情勢的にも一番キツいけど、ボトムアップの見せかけじゃない民主主義が本当にロクでもないことを証明する反面教師的存在になるなら断然支持する、今じゃなければ。

実際メディアが報じてる「無責任解散」の真意は北朝鮮情勢を踏まえた「有事解散」で12月に行き場をなくした北とアメリカが開戦することがほぼ確定してるから12月までに安定させるだけに解散しただけ。
報道しないのはメディアがバカなのとパニックおこるからという理由。

ちなみに日本は別に危険に晒されない。
あと麻生さんの「武装難民は射殺する」というのは外務省のお達しなので警察は難民を射殺します。
来月中旬あたりに北がまたミサイル発射する可能性高いのでそれが発射されたら開戦はほぼ確定。
それまでに北が水爆実戦配備した場合開戦しないかも。

むやみにこういうことを宣うと統合失調症を疑われかねないのであまり言わないようにしている。

ただ特に嘘を言っているわけでもなく自分がどんな人間かは言えないがソースも確かなのだ。

こんなこと話半分にきかれるかもしれないしそもほも理解できないだろう。

そんな国民に嫌気がさしてきた。

これが実情である。

今日はベランダから中央線を眺めた。

平成29年10月6日

今日はベランダから中央線を眺めた。

日本死ね」などで話題になった待機児童問題。

ドイツでは児童の声は法律上騒音と見做さないことで解決したらしい。

別に日本がどうだとか海外がどうだとか言うつもりはない。

しかしこの場合においては本質を見据えフレキシブルな対応をしたドイツ当局及びドイツ国民を見習うべきだろう。

なにも本質を見ることができないとは思っていない。

本質を理解できないことが悪いと言っているわけではない。

本質を理解できないように教育した人間が悪いのだ。

それが誰とは言わないが本当にひどい仕打ちである。

今日はベランダから中央線を眺めた。

2017年10月5日

今日はベランダから中央線を眺めた。

教育というものに疑問を抱くことが多い。

実を言うと小学生の頃から教育というものに疑問を感じていた。

小中高と問題児扱いされことあるごとに指導を受けてきてすべて右から左に受け流していた。

それは障害者学級の生徒が泣き出したとき問題児である自分がなにかをしたのだろうと決めつけられ林間学校のバス内で3時間ほど指導されたことから始まったのかもしれない。

狭量な我が人生においてかの教師を許すわけにはいかない。

笑顔で歌えと言いながら怒る音楽教師、6年間やっても誰も喋ることができない英語、完食するまで解放されない給食、夢を否定する進路指導。

教育とは人を不快にさせることなのだろうか。

甚だ疑問である。

今日はベランダから中央線を眺めた。