男子手芸部

手芸部員1と2の生まれたことへの贖罪

セブン-イレブン・ジャパンと日本マクドナルドの違い

セブン-イレブン・ジャパン日本マクドナルドの違い

 

日本における創業からみる両社の風土・文化の違い

 

まず、セブン-イレブン・ジャパンイトーヨーカドーの子会社であるヨークセブン(現:セブン-イレブン・ジャパン)がアメリカのSouthland Corporation(サウスランド社/現:7-Eleven, Inc.)からライセンスを取得して、日本で事業を開始した。(出典:Wikipedia)一方日本マクドナルドは創業社長である藤田田が米マクドナルド社から50:50の出資で日本マクドナルド社を創業した。(出典:藤田田 ユダヤの商法)

この時点でセブン-イレブン・ジャパンイトーヨーカドーの子会社でライセンス契約であり、日本マクドナルドは米マクドナルドとの共同出資の会社という違いがある。

 

さらに創業時の日本セブン-イレブンは米国のセブン-イレブン同様の商品を売っていたが米国との商習慣や食習慣の違いにより売上が伸び悩み次第にローカライズしていった。(出典:Wikipedia)その点日本マクドナルドは現在も米国のマクドナルドと同様のものを売っている。

 

次に、フランチャイズ契約の違いをみていきたい。セブン-イレブン・ジャパンフランチャイズ契約はロイヤリティが43%〜74%であることに対し、日本マクドナルドは3%〜10%で、初期費用も現在は250万円ほどだ。

これは創業社長である藤田田氏の「日本の起業家を育成しつつハンバーガーを広めたい」という意向からである。(出典:藤田田 ユダヤの商法)セブン-イレブン・ジャパンフランチャイズオーナーの所有する店舗は平均数店舗にとどまるのに対し、日本マクドナルドフランチャイズオーナーは平均20店舗という数を誇っている。ここからわかるように、日本マクドナルドセブン-イレブン・ジャパンのように個人店舗を経営不振にさせフランチャイズにしロイヤリティを吸い上げるようなものではなく法人ややる気のある個人に対しポジティブなモチベーションを上げさせるようなフランチャイズ経営をしていることが伺える。

 

このような点を踏まえインターネットにて実際に双方の社内またはフランチャイズで働く人々について調べてみた。

まず、フランチャイズオーナーについて、セブン-イレブンではやはりブランドが強く集客に困ることはないが24時間営業のため慣れるまでが大変という書き込みが多かった。日本マクドナルドでは、サポート体制が充実しており経営を学ぶことができる点と儲けることができるという書き込みが多かった。

次に、社員について、セブン-イレブン・ジャパンは残業が月に平均48時間で新卒意向20代の年収は450万円前後。現場主義で残業手当で年収を増やすという書き込みが多く見られた。日本マクドナルドは残業が月に平均38時間で現社長に変わって以降20代での年収は750万円前後。セブン-イレブン・ジャパンとは異なり現場スタッフだと300万円〜500万円と、バックオフィスを重視する傾向があるらしい。外資企業らしくミスを重ねると即解雇という書き込みも見られた。

 

また、私はよくセブン-イレブンマクドナルドも訪れるがアルバイトスタッフの募集に非常に差を感じる。

セブン-イレブンのアルバイトスタッフの募集は張り紙1枚の素っ気ないものが多いがマクドナルドはトレーの下にスタッフの生き生きとした写真がコピーとともにコラージュされており採用も積極的に行っているように感じる。

 

セブン-イレブン・ジャパンは例年黒字を継続しているが日本マクドナルドは社長交代以降赤字続きである。

私感だが保守的なセブン-イレブン・ジャパンに対し日本マクドナルドは成長にうってつけの社内文化が存在すると思うので改善し成長していただきたい。

エリック・サティ ジムノペディ1番を聴いて

エリック・サティ ジムノペディ1番を聴いて

 

自宅にロナン・オーラという女性ピアニストとラルス・ロスという男性ピアニストのアルバムがあり、どちらも上記の曲を弾いていたので課題に使用した。

前者の演奏を普段からよく聴いており贔屓目になってしまうかもしれないが、率直に前者の演奏のほうが好きだ。(1)

専門家でないのでハッキリとした差異はわからない上にレコーディング環境の問題なのかもしれないが、前者の演奏のほうが導入部分の輪郭がはっきりしていると感じた。(3)

作曲者のエリック・サティの指示によるとこの曲は「ゆっくりと苦しみをもって」ということだそうだ。

サティが聴けばもしかすると後者の演奏のほうを評価するかもしれないが私はどの音楽ジャンルでも音と音がはっきりとしているもののほうが好きなので前者のほうが良いというよりは後者の演奏に苛立ちを感じた。(2)

平成29年10月24日

今日はベランダから中央線を眺めた。

久々の投稿である。

海外に行っていたため日付がわからなくなり面倒を起こし更新をサボタージュしたのだ。

今日あることに気づいたので筆を、いやキーボードをしたためようと思う。

我が国の幸福度は非常に低い。

どの年度のものを見てもGDPなどに比べると低い。

これに関して国はどういった動きをしているのかということを考える過程で気づいた。

アフリカ諸国などの貧困国の現状を悲観的にとりあげることで相対的な幸福を認識づけているのだ。

そのような動きのおかげで近年徐々に順位を上げてきているのだ。

結局人は格下の人間を見て安心する生き物だ。

今回気づいたことは当然のことだったのかもしれないが自分の中では大きな発見だった。

アフリカの貧困がどうだとか中国の孤児がどうだとか正直どうでもいいものをなぜパブリッシュするのか疑問だったものが解けたからだ。

それだけ。

今日はベランダから中央線を眺めた。

 

 

平成29年10月11日

今日はベランダから中央線を眺めた。

いとたゆし、人のひしめく朝の駅。

出勤遅れもひとのせいかな。

責任を被ることは精神的にあまりいいことではない。

誰かのせいにするということは楽なのだ。

人はそうやって生きてきた。

普段は大人ぶっているくせに人に怒られたときは子供のように言い訳をし責任を逃れる。

子供のような成人が多い。

少なくとも自分にはそう見える。

何も成長していない。

誰でも責任を問われることは嫌である。

自分のこととして逃げずに然と受け止めてきた人間は成長する。

全て自分の責任なのだ。

恋人がいないのも、芸能人の友人がいないのも、仕事がつまらないのも、金がないのも、容姿に恵まれなかったのも、金持ちの家庭に生まれなかったのも全て自分のせいなのだ。

課題を認識し、解決方法を模索する。

その積み重ねこそが人間的成長の本質である。

今日はベランダから中央線を眺めた。

平成29年10月10日

今日はベランダから中央線を眺めた。

取引先の人間に匿名で運用していたSNSがバレた。

今思えば文字にはしていなかったものの自分の顔などをアップロードしていたので特定しようと思えばできるようなものだった。

情報通信業に従事しているのでそこらへんは理解していたのだがクリティカルなものではなかったので用心はしていなかった。

しかしいざ見つかってしまうと恥ずかしいものだ。

ナルトごっこをしているのを好きな異性に見られたことくらい恥ずかしい。

匿名アカウントでいままで積み重ねてきたものが崩れてしまい多少焦っている。

このブログもいつか特定されてしまうのだろうか。

死後下ネタだらけの日記が見つかり知名度ゆえ世間に死体蹴りされている小説家など多数いるがなんとなく見ていて哀しいものである。

スマートフォンが普及し誰でも発信できるようになったミレニアム世代。

我が子に黒歴史をオープンされる時代が迫ってきている。

楽しみである。

今日はベランダから中央線を眺めた。

平成29年10月9日

今日はベランダから中央線を眺めた。

特に書くことがないと思ったが人気ユーチューバーも毎日欠かさず面白い動画を投稿しているのでひねり出して書こうと思う。

使えない人間というのがいる。

何度言ってもちゃんとした仕事ができないのだ。

仕事ができるできないというのは気持ちの問題というのが大きい。

それを加味した上でマネジメントをしてもある一定以上のクオリティの仕事ができない人間がいる。

それを見た自分と似たような立場の別の人間は、彼にはセンスがないと言っていた。

センスとはなんだろうか。

持論だがセンスというのは知識や経験則の奥深いものだと思っている。

それは幼稚園児の頃に体験した芸術や親の言動なのかもしれない。

よく読んでいないので知らないが「賢さ」というのが6割遺伝であるという論文もある。

平等など生まれた時点から存在しないのだ。

格差があって結構。

人間だもの。

今日はベランダから中央線を眺めた。

平成29年10月8日

今日はベランダから中央線を眺めた。

昔からなのか知らないが価値のあるものに対して対価を用意できない人間が多い気がする。

メリットデメリットだけで動く人間というのもそれはそれで気持ち悪いが行動原理など元を辿ればメリットデメリットなのだ。

全くメリットのない提案をしてくる人間は与えられることに慣れすぎて頭がおかしくなってしまったのだろうか。

しまいにそういう人間はそれを断れば不機嫌になる。

募金や一部のNPOに関してもそうだ。

なぜわざわざ低い文化レベルを保っているような国に支援をしなければいけないのか。

なぜ経済社会に存在しない人間を助けなければならないのか。

理由の明確でないなにかを正当化する人間。

それを否定する者を悪と言う人間。

今日も地球は回る。

人は生きる。

今日はベランダから中央線を眺めた。