平成29年9月27日
今日はベランダから中央線を眺めた。
様々な服装をした人が歩いている。
自分は見た目で人を判断するが、自分の服装はそこまで気にしたことがない。
仕事のない日は都心であれ部屋着のような格好で髪もセットせず帽子を被り出かける。
しかし今日をもってそれもやめることにした。
ラフな格好をしている日ほど道行く人や店での対応が悪いのだ。
明らかに態度が悪かったり、トイレや出入り口に近い席に通されたりする。
高そうな服やドレスコードなどの利便性を知った。
むしろ昔の冠位十二階などが復活してほしいと心から思う。
権利者本位の決まりなのでそれはないだろうが現代では形を変え少し分かりづらくなっただけだと理解しておこう。
無駄なプライドかもしれないが素直に自分より社会的ステータスが低いような人間に無下に扱われたくないというのが本心だ。
仕事ですらない上に割と慎ましく生きているのにそこまで寛容に振舞うことを求められるのはお門違いだろう。
はあ、肩ぶつけてきたやつとか全員絶対許さないからな。
今日はベランダから中央線を眺めた。
平成29年9月26日
今日はベランダから中央線を眺めた。
東京は地元よりは外国人が多い。
いつものように偏見というか常識というか、そんな話をするのだが。
人種差別だとか言うが差別意識を持つのは我々は全く悪いとは思わない。
なぜならどうやっても抗えぬ幼少の頃から我々は「肌の色が濃い人間ほど文化レベルが低い」という情報を植え付けられていたからだ。
明治維新の頃から西洋化していきしまいには名誉白人などと宣っていた我が国ではそれは顕著だろう。
そもそも日本というスケールだけで考えれば、開国を迫ってきたあしながおじさんもとい西洋人が黒人であったらどうだっただろうか。
列強と言われた国々が黒人の国だったらどうだろうか。
日本人はもしかすると白人を差別していたかもしれない。
今ではきかないがしろんぼという言葉もあり白人を「自分たちと違うもの」として捉えていたのは事実だ。
その通り差別の意識というのは「自分たちと違うもの」という意識でありこれは本能的なものなのだ。
必要以上に貶すことはないが差別意識を持つのは自然なことなのだ。
電波ジャック事件を装ったただのメッセージビデオだが最後にこれをみていただこう。
The Wyoming Incident (Original Upload) - YouTube
今日はベランダから中央線を眺めた。
平成29年9月25日
今日はベランダから中央線を眺めた。
駅を歩く人々。
世の中まともな人間というのは割と少ないのかもしれない。
こんなことばかりブログに書いてる気がするが。
社会に出るとどうだとか学生の頃さんざ言われたがまさかこういうことだとは思わなんだ。
常識がないというか日本語が通じない人間がこんなにいるとは思わなかった。
識字率99%とはなんだったのか、先進国。
字はわかるようだがまったく、日本人が日本語を理解しているとは思えない。
なんだか自信がなくなってきた。
まあ男性の約1/4が発達障害だというのだから業界的にも自分の周りに多いだけなのかもしれない。
酸素よりも割合高いのか、発達障害者。
父もどうやら発達障害らしいのでもしかすると自分もそうなのではと疑う。
人とうまくコミュニケーションして社会的信用を得ているという点だけが自己肯定をしている。
はあもう平日の朝だ。
なにもすることはないのに面倒臭いという気持ちだけが先行している。
今日はベランダから中央線を眺めた。
平成29年9月24日
今日はベランダから中央線を眺めた。
そんな前置きはどうでもよくて。
タイムスリップしました。
ただいま日付は平成29年9月25日。
タイトルは昨日だが昨日が全くないのだ。
自分でもなにを言っているかわからない。
とりあえず目が覚めた。
最近寝ていなかったわけでもない。
原因という原因が全く思い浮かばないのだが、ひとつだけいつもと違うことをした。
催眠音声を聴いたのだ。
自己暗示が強く催眠にはかかりやすいと自負しているが、まさかこんなことになるとは思わなかった。
聴いたものは気持ちよくなれる催眠というもの。
そしていま履歴を見ると睡眠用の催眠も聴いていたらしい。
睡眠用の催眠というのがどのようなものなのか、長すぎていまさら聴こうとは思わないが相当強力だったと見える。
正直に言って催眠自体は気持ちよかった。
短い人生の貴重な日曜日をまるごとスキップしてしまった。
まあ悪い気分ではない。
今日はベランダから中央線を眺めた。
平成29年9月23日
今日はベランダから中央線を眺めた。
土日は特に家から出ることもなくせいぜいメイドカフェに行く程度なのでインターネットについて書こう。
だいたいこういうのは嫌味になるので例外なく嫌味を書こうと思う。
インターネットミームはけっこう好きで、こんなことをいい年こいて言うのは恥ずかしいが、最近だと野獣先輩やsyamu_gameなどが好きだ。
ああいうのは本当にどうしようもない人ならざるものを面白がっているだけなので意識の高い人間どものように嫌悪感などは抱かず純粋に楽しんでいる。
パンくんをかわいがったり、芸人だと狩野英孝や出川で笑っているようなものだ。
逆にあまり好きではないのはパワーワードだとかご査収くださいだとかその類のものだ。
あ、これ書いてる途中にあまりにもバカらしくなったのでこれについて書くの辞めます。
書き込みとかの年齢層を調査している段階で察しがついた。
あまりガキ臭いの相手にしても自分の価値が下がるだけだ。
今日はベランダから中央線を眺めた。
平成29年9月22日
今日はベランダから中央線を眺めた。
直近1週間ほど寝てたり寝てなかったりするのだが結果的に平均をとるとほどよく寝ていることになるのでいいだろう。
正直特に詳しい研究はしていないためこの話題に触れるつもりはなかったがネタがこれしか思い浮かばないので書こう。
世の中には近親婚というのがある。
いやないのか。
生物学的によくないから罪らしい。
ドイツオーストリアのハプスブルク王家に代表されるアレである。
そのためかドイツでは近親婚だけでなく近親相姦までも罪として扱われている。
さて自分がそうだとは言わないが親族に恋愛感情を抱く者はやはり一定数おり、「俺妹」に代表されるようにそういうフェチの人間もいる。
そしてだが、LGBTだとかダウン症などの障害者の人権が認められながら近親婚は罪というのは土台おかしな話である。
彼らに特に理解がない自分としては同性愛などビョーキだと思うしそれを堂々と言うのはハッキリ言って気持ちが悪い。
ダウン症などの障害にしてもあれは完全に生物学的に人間ではないし同性愛者はそもそも子供がつくれない。
自分がそう産まれなかったからそう言ってるのかもしれないが世は民主主義である。
多数派が正しいのだ。
全部許すか全部禁止してくれ。
今日はベランダから中央線を眺めた。
平成29年9月21日
今日はベランダから中央線を眺めた。
いきなりだがひとつだけ言い訳させていただきたい。
このブログにおいて毎度一人称が「自分」なのだがこれはガテン系だったとか未だに一人称が定まっていない思春期だとかそういうわけではないということだ。
同じ感性を持った読者諸兄なら、一人称が「自分」という人間になにかしらの違和感や嫌悪感を感じる者も多いだろう。
さて、話は戻るがこの一人称はほかでもない、性別のイメージをなくすためだ。
タイトルで男子手芸部とすでに名乗っていて出オチかもしれないが、男子手芸部にも女子マネージャーがいるかもしれないということにしておいていただきたい。
さらに性別を隠すなら「私」でいいじゃないかと突っ込まれる可能性もあるが私などとプライベートで発言する男性はそれまた思春期の痛いアレだと思う。
性別を特定できるような内容は書いていないつもりだが人工知能に判断させれば確実に男性だと判断されるだろう。
しかしまだ自分が女性である可能性も払拭しないでいただきたい。
全く内容のない更新だったが言わせていただきたかったので書いた所存だ。
今日はベランダから中央線を眺めた。