平成29年7月22日
今日は一日中ベランダから中央線を眺めていた。
休みというのは一日ダラダラ過ごすものなんだというのをどこかで見かけ妙に納得してしまったからというのが大きな理由だ。
かと言ってなにかしらの罪悪感はあった。
一日一日を全力で生きる、みたいな誓いをいつかした気もするからだ。
ダラダラ過ごしたらあっという間昼過ぎ。スケジュールはガラ空き。(National Holiday/B'z)
やることがないのでいつもより多く物事を考えた。
人々は本質を捉えず生きていく。
否、目を背けて生きていく。
本質を追求すると不幸になることを本能的に知っているからだ。
本質を語る人間は皆不幸に見える。
本質を得る過程で不幸になっているからだ。
本質を語る者と共に時代は進歩してきた。
時代の進歩には欠かせないのだ。
本質を全く捉えていない極端な例としてカーゴカルトがある。
宗教とは指導者のエゴである。
政治も宗教の一種である。
時代を進めるには狂人的ないしは聖人君子的な教祖が必要である。
これもまた極端な例だがドイツのアウトバーンや薬学、自動車産業の急進はかのヒットラーの功績であると言っても過言ではない。
権力で私腹を肥やすのを悪とし、人類の成長に自らを生贄にはらう姿勢こそ必要とされているのである。
眞の天才は、殆ど不可避的に自分自身で、その世界歴史への登場を告知する。 ―アドルフ・ヒットラー
今日はベランダからずっと中央線を眺めていた。