今日はベランダから中央線を眺めた。
「日本死ね」などで話題になった待機児童問題。
ドイツでは児童の声は法律上騒音と見做さないことで解決したらしい。
別に日本がどうだとか海外がどうだとか言うつもりはない。
しかしこの場合においては本質を見据えフレキシブルな対応をしたドイツ当局及びドイツ国民を見習うべきだろう。
なにも本質を見ることができないとは思っていない。
本質を理解できないことが悪いと言っているわけではない。
本質を理解できないように教育した人間が悪いのだ。
それが誰とは言わないが本当にひどい仕打ちである。
今日はベランダから中央線を眺めた。