男子手芸部

手芸部員1と2の生まれたことへの贖罪

平成29年8月19日

今日はベランダから中央線を眺めた。

日中は豪雨でのべつ幕なしに、カラカラになって固くなったタオルのような乾いた雷が轟いていたが特にやることもないのでベランダに立っていた。

今日は自分がなぜ不幸に感じているのか、なぜいつも気分が落ち込むのかを半分客観的に知らされた。

動物というのは危険な目に合うほど記憶力が増していくらしい。

逆に平和な環境で育った動物は記憶力が乏しく、動物園の動物が危機に晒されたとき回避できないのがその例だそうだ。

人間の場合遺伝的な要因と先述のような後天的な要因がその個体の記憶力に起因するらしい。

思えば昔から学校では常に怒られていたし学校外の習い事でもひどい扱いをされていた。

そして両親ともとても記憶力に長けている。

自分で記憶力がいいと思ったことはないが、考えてみれば様々なシチュエーションで昔のネガティブな記憶がフラッシュバックする癖があった。

行動が消極的なことはないが常になにをするにしても周到にリスクヘッジをするようになっていた。

つまり、日々怯えたような生活をしているのだ。

これは今日気づいたことで少し衝撃だったというか、自分の認識していない自分を認識できたようで嬉しい気もした。

日常に何らかの不満があることは知の象徴であり、いま現在幸福のために知を捨て去るか否かという岐路に立たされているような気がする。

しかし足元に積み上げてきた本はすでに東京タワーほどの高さにまでなっておりそれを崩せば死ぬのだ。

ああ、まずは月を目指そうか。

今日はベランダから中央線を眺めた。