平成29年8月16日
今日はベランダから中央線を眺めた。
主観的には特に何もない一日だ。
どういう生き方をしたいかとかそのような未来像をはっきり決めておくことは若いうちにしておくべきだと思う。
常識とは19歳までに培った偏見のことである。
これには、人間の脳の機能は19歳でピークを迎えるという医学的根拠も相まっている。
先のことを決めず歩むのは、型のないかたぬきをしているようなものだ。
ごく一部の、自分のような天才は、型のないかたぬきから完成後のサグラダ・ファミリアをみごとにつくりあげることができるがそれは彼らに限られた話だ。
大罪人であろうが聖人であろうが正しいことを語る人間は説法を説くことができるという仏教の教えがある。
つまりどんな形であれ正しいということは”正しい”のだ。
正しさとは知識と経験と賢さである。
正しくなく、なにも真理を得ることなくこの世を去る人々がいる。
なにも学ばず、たいした経験もしないということだけは、生きる上で避けたい。
要するに何もない一日というのをなるべく減らしたい。
そんな感じ。
今日はベランダから中央線を眺めた。