平成29年8月5日
今日は学園都市線を眺めた。
奇しくも宿泊先にも目の前に電車が通っているのだ。
そして都会の喧騒から離れたかというと微妙なところである。
だが瞬間的に忙殺された昨日から解放され気分は多少よくなった。
特に今日はなにもしていない。
今日は幸せの定義について考えた。
そもそも「幸せ」という言葉がなければ人間は生か死か、それしか生活の中で良悪がないのではないかと考えた。
特に人類数十万年の歴史のなか言葉ができる、また安全な生活ができるようになった直近4,000年程度しか幸不幸の概念は歴史がないのではと思う。
この先人工知能がいくら発達しようが人の仕事がなくなることはないとは思うが、もしも、人の仕事がなくなりすべてから解放されたときその概念はまたなくなるのではと思っている。
幸不幸の概念は相対的な指標である。
つまり絶対的な幸不幸とは生死なのである。
生死が細分化されたものが幸不幸なのではと考える。
続きはまた今度。
今日は学園都市線を眺めた。