男子手芸部

手芸部員1と2の生まれたことへの贖罪

平成29年8月1日

今日は一日中ベランダから中央線を眺めていた。

昼は暑かったし、日が暮れるとだんだん気温が低くなるのを感じた。

当然といえば当然なのだが、日光にあたっているのとそうでないのでは体感温度が全く違うんだなと思った。

駅のホームのベンチに座り休みながら電車を待つ人、駅を出て日傘をさす人、汗を流しそそくさと歩くスーツの人。

そんな感じだった。

人々はだいたい同じである。

男、女、若い人、老いた人、頭のいい人、わるい人、心が広い人、せまい人、できる人、できない人。

そんな感じだ。

現在の教育は個性を尊重だとかそんなことを大切にしているしそういう教育を受けてきたが、みんな同じだ。

個性なんてない、割合の問題だ。

あなたがすごいと思っている人も少し歩けばまたいるし、ビル・ゲイツだって古今東西見渡せば腐るほどいる。

そうやって成り立っている。

ただ多くの人に個性的だとかすごいだとか認識されることは人生において重要だしそのモチベーションは失ってはもったいないものだと思う。

「お前の代わりなんていくらでもいる」と言われる前に自分の代わりなどいくらでもいるという認識を持ってはどうだろうか。

それが偉大なる魂への第一歩だと思う。

始発に備え線路の点検をしているのが見える。

気持ちのいい夏の夜の風を感じる。

今日は一日中ベランダから中央線を眺めていた。