男子手芸部

手芸部員1と2の生まれたことへの贖罪

平成29年8月15日

今日はベランダから中央線を眺めた。

今日は雨が降っていたっけ。

ちかごろ雨について言及することが多い気がする。

気がするだけであってデータに基づいているわけではない。

ここ2日くらいやりたくないことが迫っていて面倒な気持ちである。

今日はアルバイトというものをはじめてまともにやった。

疲れた。

感想は以上だ。

金銭に困っているわけでも知り合いに頼まれたからでもなく暇つぶしだ。

次回以降あまり気が向かないのだがおいそれとやめるわけにもいかなそうなのでしばらく続けてみたい所存である。

ああ今日は終戦記念日だ。

あれ、ポツダム宣言は先月だっけ。

鈴木貫太郎内閣が解散したのは確か17日だったような。

アルバイトを週に5日以上いれてなおかつ8時間以上働いている人を大いに尊敬する。

ああもう、ただそれだけである。

これ以上は根性というものだけが動力だ。

今日はベランダから中央線を眺めた。

平成29年8月14日

今日はベランダから中央線を眺めた。

雨なのか曇りなのか微妙なところだがどちらにせよ暗い日は時間感覚が狂い気持ちも落ち込む。

自分は相対的にも絶対的にも頭がいいと思っている。

人々と話していても自分は頭がいいと思うしそう思わせることも容易い。

そして自分は世のほとんどのことを知らないということを知っている。

これを自覚する/させるのは簡単で、例えば薔薇という漢字を書けるかとか、神社と明神、大社、神宮の違いがわかるかとかそういう問いをすればよいのだ。

全能感や人より優れているという自負は知的探求や精神の向上を目指す者にとって大切なことなのだが何十世紀も前にソクラテスとかいう頭の悪い哲学者が定義したところの無知の知というのを心に留めておくことが大切なのは言うまでもないだろう。

二度言うがこれは何十世紀も前の既出ネタな上に日本の人々は謙虚であるから言われなくてもわかっているだろうがいつでも心に留めておくのが大事だと再確認してほしい。

今日話した人間がいい歳して自分の非、無知を認めないものだからこんなことを思った。

今日はベランダから中央線を眺めた。

平成29年8月13日

今日はベランダから中央線を眺めた。

いつから曇っていたのか、いつから雨が降っていたのか、いつからこんなに物事を深く考える様になったのか全く記憶にない。

今日も暢気に休日運行だ。

お盆とやらがいつまで続くのかは人それぞれらしいが人間は働かないと落ち着かない生き物のくせに何かとかこつけて休もうとするのは我ながら不思議である。

そういえば近頃気になったのは嘘についてだ。

他人のことは知らないが少なくとも自分は嘘に塗れた生活をしていると言っても過言ではない。

嘘にはいくつか種類がある。

主にジョーク、皮肉、粋な図らい、世辞、純粋な嘘というのがレギュラーメンバーだ。

素直な人生を送ってきたと数年前まで錯覚していたが思い返せば小さい頃から嘘ばかりついていた記憶がある。

なぜそんなことが気になっていたかというと、後者2つは嘘だと見抜かれてはいけない場合が多いが、最近嘘を嘘と認識されず真に受けられることが多々あり困惑していたからだ。

人々がよほど純粋なのかはわからないがそれでは興がそがれるというものだ。

人工知能に人類が負けるだとか危機感を煽る情報が多いにも関わらずそのような人間的な部分が疎かなのは滑稽としか言いようがない、むしろそのようなことは当然と言える。

コミュニケーションツールでの簡素なやりとりもいいが、いずれ小説などの創作物が小学校低学年の感想文のようになってしまうのではないかと恐れを持っている。

まぶたが重たいのでこの話の続きはまた今度。

雨の日は感覚が狂う。

今日はベランダから中央線を眺めた。

 

平成29年8月12日

今日はベランダから中央線を眺めた。

少しの間見なかっただけではまったく変わり映えしない景色を変わり映えなく眺めた。

駅のアナウンスで今日が土曜であること、明日が日曜であることを知った。

世間はお盆というやつで、それでも特に交通量が増えたり減ったりしているようには見えなかったが月曜に発売される週刊誌が休刊していることがなにより気がかりだった。

ふと警視庁が公表している資料を見てみたがどうやら自殺志願者もさすがにお盆シーズンには自殺を控えるらしく8月はそれなりに平和な月と言える。

不動産の場合自殺者が出るなどの死亡事故があった場合事故物件として格段に安くなるがこの中央線は無残にも多くの人間を葬ってきたのでマイナス運賃なんてものを導入したらどうだろうか。

いわく付きの電車に乗るだけでお金がもらえるのなら自殺志願者もツンデレキャラのように自殺を諦めるだろう。

ベ、別ニオ金ガホシイカラツテ自殺ヲ辞タワケジヤナインダカラネ。

今日はベランダから中央線を眺めた。

平成29年8月11日

今日は学園都市線を眺めた。

今日を最後にしばらくは学園都市線を眺める機会はなくなりそうだ。

今日はいわゆる「フェス」というものに興じた。

一人で行ったのだが途中から友人と会い少しの時間を共有した。

昨日の続きではないが友人の紹介で友人の所属するサークルの人々とバーベキューをしたりいわゆるそちら側の体験をした。

人々と話すのに抵抗はあったが参加したライブの話などで盛り上がった。

名も知らぬ人々との交流は率直に楽しかった。

もっと長い時間いれれば、自分もこうなればよかったと思った。

明日からまた孤独で陰鬱な生活に戻る。

図らずとも自ら選択した茨の道を明日もまた進むのだ。

自分はいまなにを語るべきか、自分はこれから人になにを語るべきなのか。

明日の自分は今日の自分なのだろうか。

またそんなことばかり考えてしまう。

そうだ、先月からか少しばかり元気になったのだ。

2日にいっぺん、性欲が湧くようになった。

陰鬱な状態ではないと言っても過言ではないだろう。

そんな感じだ。

今日は学園都市線を眺めた。

平成29年8月10日

今日は学園都市線を眺めた。

なぜなにもないただの線路を眺めているのだと思いながら眺めた。

なぜこんな生活をなぜこんな思案に耽ているのかと思った。

普通に普通の生活を送りたかったと常々思う。

思えば最初から普通ではなかった。

普通ではなかったと知ったのは最近だが。

先に普通というものの定義をしておくがこの場合多数派という解釈にしておく。

つまりいままでほとんどが少数派だった。

少数派の家庭に生まれ少数派の利き手で少数派の学校に入学し少数派の仕事をし少数派の生活を送っている。

せめて自分の意思で決められる範囲でもそんな決定をしなければよかったと今心から後悔している。

普通の人生を送り適度に人を見下し羨み何者にもならず周りの人間も何者でもなく向上心もなく生きたかった。

もちろんこんなことを考えるような暇もなく。

人生をやり直すことなどできない。

そんなことは知っている。

知っているから願わない。

かと言ってこれから頑張ろうとも思わない。

解決策のないどうしようもないことで一生悩み続けるのだ。

これを軽い言葉で片付けるつもりも、理解を求めるつもりもない。

つまり生は絶望であり死にしか希望を見出すことしかできない死ありきの人生なのだ。

しかし始める気にもなれない。

どこかになにかを見出そうとしている自分もいるのだ。

日本人はサンクコストに頼る傾向にありどうやら自分も日本人のようだ。

最近忘れっぽい。

興味がないのか。

いつか先生に言われた気がする。

今日なにをしたか昨日どんな言葉を吐いたか全く覚えていない。

今日は特になにもなかった気がする。

今日は学園都市線を眺めた。

平成29年8月9日

今日は学園都市線を眺めた。

宿泊先の構造的に音が響きやすいのでその音で意識レベルが急上昇することがままある。

こちらでも仕事があるとはいえ盆シーズンなのでそこまででもなく、時間を持て余していた。

そう簡単に予定をつくる器量も気力もないので暇をつぶす手段が限られてくる。

そんなこんなであちらから持参した創作物類で暇を潰していた。

学生時代はもっと孤独だったのでそのような時間の潰し方もとい趣味しかなかった。

浮気の有無というのはほぼ親から遺伝するらしい。

両親は仲がよく特に結婚以来浮気もしていないしそのような素振りも一度も見せたことがない。

浮気など一生するまいと思っていたがそうでもないらしい。

今日も複数の創作物を嗜んだがどうも魅力的に描かれるキャラクターにはわりかしどのキャラクターでも好きになってしまう傾向があるようだ。

魅力的に描かれているのだから当然といえば当然だがふと過去を振り返ってみると現実でもそのような経験がいくつかあった。

自分は一度決めたことはなにがあっても成し遂げる意志強固の人間だと自負していたがこと恋愛においてはその自信を失いつつある今日である。

はたしてこの先恋愛をすることがあるのかは定かではないがくれぐれも「サイテー」な人間にならないよう心がけたい。

山なしオチなし意味なし。

今日は学園都市線を眺めた。